空飛ぶソイ・ソーセージの全て

日々の記録をぐずぐずにしたうえで一本、腸詰に仕上げたソイ・ソーセージが空を飛ぶわけがない、中身なんてないから。

ウィリアム・モリスと循環の話

 入雑貨のお店に行って、珍しい品物をあれこれ眺めるのは、金がなくとも楽しいもので

す。と言っても陶器とかハンカチとかネックレスとか、おっ洒落ェなものに関する知識が、当

然乏しいものですから、ふふふんふんと分かったふうを装って、マグカップの取っ手を撫でた

り、ランチョンマットの上に並べられたフォークとナイフのセットを手に取ってみたところで

、実のところは何も知らない、通人を気取る通りすがり、結局買わないただの冷やかし、店

員さんにはいい迷惑、に過ぎません。しかし言わせていただければ、こういったものはすぐに

は買えない。そもそも工芸品や日用雑貨は、単に本やネットで調べただけでは足りなくて、実

物を見てもまだ足りなくて、本来ならば、一、二ヶ月は使いつつ、自分の生活スタイルに合う

のかどうか、試してみなけりゃ何とも言えない。如雨露一つ買うんだって、先だつものは庭な

わけです。だけどもそんな悠長な話ではこのご時世、商売が成り立つはずもないから、悲しい

かな店頭で選ぶ僅かな間に、客は品物が良いか悪いか、判断しなくちゃならない世知辛い。し

かし輸入雑貨ともなれば、困難は更に果てしなくなり、予備知識はまるでなし、下手をすれば

生産された国がどこに在るのかさえ分からない、ただ漠然としたウムラウトの合間から異国情

緒を吸い上げる、なんてことも稀ではないから、それなりに高価なものを購入するには、そ

りゃ悩みますし躊躇しますよ。だから、なんだこいつ見るだけかよって、店員の方はどうか決

めつけず、客はいま物の良し悪しを実地で学んでいるんだ、これは教育の場でもあるんだと、

是非多目にかつ長い目に見ていただきたい。そうすると接客のあり方も変わってきて、ただ物

を売り買いする、といった関係ではなく、例えば19世紀イギリスにおけるウィリアム・モリス

の文化史的位置を踏まえた、蔓草模様のコースターの説明ですとか、またはガラスの大量生産

を世界で初めて確立した老舗メーカーの社史における、このタンブラーの位置ですとか、そ

ういった情報を客に教授することもまた、販売員の大切な役割にもなってくるのではないでし

ょうか。だって考えても見れば、我々庶民が庶民らしく庶民的に生きてきておれば、お香の香

りを嗅ぎ分けたり、オリーブオイルの産地を舐め当てたりなど、五感を駆使した趣味判断の方

法を、教わったり鍛えたりするチャンスなんて、そうそう巡ってはきませんよ。しかし繊細な

技巧、優美な風体、大胆な企図といった、文物の内奥で繰り広げられているであろうところの

スペクタクルは、きまって見過ごされがちな細部においてしか表出しないものですから、そ

れを楽しめるようになるまではひたすら、絵画なら絵画、時計なら時計を、たくさん見て触れ

使ってみなければお話にならなくて、しかしそれは結構しんどく、それに何より金がかかりま

す。だから、何でそこまでして見分けらんなきゃァならないんだ同じ蜂蜜だろ一旦腹に入っち

まえば同じだ同じ、だなんて開き直るのも一理あって、でもそうなるとせっかく熟練の技芸と

古来の伝統、をいまここに現出定着させるための、極度の集中と霊感とに、人生を賭けた方が

たの苦労が、水泡に帰してしまいかねない。すると作り手も人間ですから、俺ァ作品を自分の

ために創ってんだ、好きでやってんだから文句あっかッつって悟り切った自足した方しかいな

いのであればいいんですけれども、やはり努力が報われない、工夫が評価してもらえないとな

ると、やる気を失ってしまいますし、作品の質も下がっていく。それで何とか自身の眼を培お

うと望む奇特な人も、上質なものに接する機会がぐんと減るから、勉強も進まず、結局のとこ

ろ業界全体が縮小しかつ停滞してしまう。坂道を転がり落ちるリンゴのように、衰退の向きは

止められない。更にこの流れを加速させているのはオンライン通販で、実物を手に持って勘考

せずに、ワンクリックで買えてしまうこの方法では、判断基準は値段の高低、それを除けばあ

とは企業の出した広告と、それを使った人たちの感想くらいしか残らない。いずれにしても我

々は、物を見ているようで実は、巧みに眼を逸らされるのである。こんな状況だから、通販で

買ったものが届いてみたらあれ、いまいち、と思うのならばまだましな方で、酷いときには買

いっ放しでそのままにしちゃう。もったいない。もったいないのだけれどもなお、ネットで買

い物するのは何故かと言えば、それは値段の問題が大きいでしょう。とはいえここでは最安値

の話をしているわけではありません。安いなら安いで大いに結構、しかしその一方で値段には

、相場と言うものもあるにはあって、特にぜいたく品の場合は、ただ安けりゃいいってわけじ

ゃない、そう簡単には割り切れない。例えば「自分へのプレゼント」なんていい年して言い訳

して服なりアクセサリーなりを買うからには、安物を掴まされたくはないわけで、安物を掴ま

されたくないからには、もちろん金を出すのが手っ取り早くて、だからそれなりの出費をする

んですけれども、ここでは金を出したぞって実感が、かなり商品への満足度に貢献していると

ころがある。そこで際立ってくるのが比較が楽だっていうネット通販の強みであって、確かに

自分の家計全体の中では高い買い物だけれども、この商品、このジャンルで見たときは、ネ

ットで買うのが一番安い、だなんて絶妙な値段を設定できるために、価格を基準にするならば

、皆ついついオンラインで買ってしまう。また広告も、何とか権威をつけようと、300人にモ

ニターしました、とか、オーガニックな農法を守っております、とか、これこれの化学物質を

ふんだんに含有しております、とか、10年連続で何ちゃら賞の金賞を受賞しております、と

か、ベタベタとステッカーを品物に貼っておりますけれども、考えてみればそれら文句の信憑

性は、掲示元の企業への信頼に拠っていて、かつその企業への信頼はそれが販売する商品に拠

っているわけですから、ここには循環があって、したがって広告は出せば出すほどいい、と

いうことになる。とても信用の置けるものではない。口コミだって、その内容は言わずもがな

、そもそも本当に客が書いているのかどうかなんてのも知れたものではない、匿名の時点で確

かめようがないですし、大体がサクラでしょう。サクラ満開でしょう。サクラがなければもち

っとのどかにショッピングを楽しめるでしょう。仮に本物がレビューなさっているのだとして

も、どうして自分自身の判断より、見も知らぬ人の評価の方を、当てにしなくてはならないの

でしょうか。これは要するに自分の価値観に自信がないのであって、しかしそもそも個人的な

価値観を磨く機会を減らしているのがオンライン通販なのであるから、ここにもまた循環があ

る。回る。このどつぼから抜け出すための、ささやかな抵抗の手段として、皆様ぜひ、雑貨屋

〇〇の実店舗をお訪ねになってください、経験豊富な店員が接客させていただきます。という

宣伝は、いかがでしょうかね。