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空飛ぶソイ・ソーセージの全て

空飛ぶソイ・ソーセージとは、存在せず、かつふわふわと軽い何かである。そんなふうに細く長く続けていけたらいいですね。

口すさびに歌う歌の話

 は歌うものなのか聞くものなのか、いや両方でしょ、とおっしゃる。それがどうやら正解なんでしょうけれども、でもたあだ聞くだけの機会に比べて歌う機会のほうはぐんと少ないと思いませんか、特に最近。いやァ、歌歌うんだったら別にどこでだってできるだろう、それこそカラオケとか自室とか、路上でだってどこでだって構いやしない、だなんて威勢のいいお言葉は、まァその通りなんですけどね、ただ、いま申し上げておりますのは、何かの曲を歌おうって気合を入れてわざわざ歌う歌ではなくて、何かをしながら口すさびに歌う歌で、こっちの方はめっきり減ったと思いませんか。例えば民謡童謡の中には田植え草刈り稲刈りなどの、野良仕事中に口ずさむものや、地引き網や魚の仕分けなんかのときに、えんやこらさと声を合わせるものもある。こういう歌は、この曲が歌いたいってんで歌うんじゃなくて、やらなくちゃァなんない仕事がまずあって、でも面倒臭い、単調だしつまんない、でもやらなくちゃ、だったら、やるからには楽しくやりたいってんで、募る労苦に強張る身体をほぐし気持ちを和らげようと、歌い出した歌がだんだん歌い継がれていったんじゃないか、と愚考しておりますが、だからこれこれのときはこの歌ってのが決まっている。初めに歌があり、それを歌わんとしてある場所に行くのとはちょうど反対に、むしろ場所の方が歌うべき歌を規定する。
 しかしこの頃は、こんな特定の時間場所に限定されたテーマソングみたいな歌がめっきり減ったと思いませんか。オフィスのデスクワークの歌、デイトレーダーの歌、コアラ訓練師の歌、みたいな、ものがあってもいいと思うのに、集中するためには静かにしてなきゃなんなくて、あるいは静かにしていることが集中しているアッピールになる、とでも思っているのか、いずれにしても仕事は基本黙ってやらなくちゃならないみたいな風潮がある、様な気がする。外で働く方がた、工事現場や引っ越し現場、ごみ収集の歌、は無いほうが不思議で、もし外回り営業の歌、ティッシュ配りの歌、ジャムの蓋へのテープ貼りの歌、みたいなのがあればぜひ聞いてみたい、それで炭坑節やソーラン節などと比較して見たい。でもない、多分、まあ管見寡聞なだけなんでしょうが、それはしかたがない。仕事の内容が変わったんじゃないか、今日び仕事に全的にコミットしてないとやれないようなものが増え出したし、だから歌なんて歌う暇も余裕もないしょォって、おっしゃられるかもしれませんね。そうだとしても、いくら楽しいこと刺激的なことやりがいのあること、クリエイティヴでイノベイティヴなことだって、基本的な仕事内容はぶちまければコアとなるタスクのマニュアルにのっとた反復かつ応用ですし、同じことずっと繰り返していれば、またこれかよって飽きてすぐに疲れてしまうのは変わらないでしょう。jこれに対して理想的なのはいま、何をやっているのか忘れちゃうくらい没頭して、あれッもうこんな時間、とかおいここどこだよ、とか、あァもうこんなにやってたのかって終わってから気づく、ぐらいのほうが、効率的にはどうか知りませんが、精神衛生上はよろしい気がします。ちょうど焼き栗とかピーナッツなどを剥いては食べ剥いては食べているうちにあらッ、もうこんなにこんもり溜まっちまった殻の山盛りを、さっと片づけてしまうみたいに、山を成す雑務も一掃きで片づけてしまえたらどんなにいいか。そう思うんでしたらやっぱ歌ですよ、歌。えェ歌ァ、とその効果をお疑いになるんでしたらもってこいの事例があって、それは何かと申し上げればお風呂ですお風呂。湯船に浸かって100数える、となるとしかし100とは!そんなん無理だろうまどろっこしくて、とお思いになる方が大半かと存じますが、しかし歌を一曲歌うとなると、案外に楽チン。平均的なポップソングの長さを3分といたしますと秒に直して180秒でこれは100まで数えるのの約2倍、数えながら、数える代わりに歌えばほらすぐですよ、踊りもつければそれこそ一瞬、是非一度、実験してみて下さい。更に言えばマラソンや筋肉トレーニング中に音楽を聞くのも同じことで、ああ後20キロメートルもあるよ、とか、後3セットかァ、なんてくよくよした自分にサヨナラ、して次のフレーズのことだけ考えていたほうがずっといいです、しだから足も止まらない。
 いや、いや歌なんか歌っていたら、やはり気が散って仕方がないだろうなんて、いまだおっしゃる方、もちろんいらっしゃるでしょう、けどね、けど言わせていただけるならば、あァ嫌だな早く終わんないかなァしんどいなァって同じようなネガティブなことぐるぐる考えているのはよろしくなくて、でもそんな急にポジティブになれないよねっていうのも一理あって、だったらリズムも旋律も決まっている歌の流れに身を任せてどこまでも、どこまでもそのまま何も考えないでいたほうがきっと、意識を消耗しないことでしょう。自転車は前に前にと進みますが、しかしその乗り手が実際にやるのは円運動の反復で、もっと言えば右足左足を交互にぐるぐる回すことです。そのとき必要なのは先へ先へと焦り先走る気負いではなく、同じ動作を倦むことなく続ける粘りであって、ペースの維持や気力の保持ではないでしょうか。
 要するに、やらなくてはならないことの型・パターンが分かったら、後は歌でも歌いながらやった方がずっと楽だしぐんぐん進むということです。しかしながら現代にはそんな歌が希薄である。その代わりに霧雨のように飛び交っているのがコマーシャルのメロディーとか歌のサビのとこだけとか、残酷にも切り裂かれた無名の断片的なフレーズで、更にこれは何回も、何回もぐわんぐわんと、それこそ一日中、頭のどこか暗い隅の方で鳴っている、呻いている、ときめいているのるんるんと、騒がしくてうるさくて、もう勘弁してほしい、みたいなことがよくあります。しかしあれもまた一日を乗り切るための歌なのであれば、それは、細々とした作業を色々、並行して進めて、コラージュみたいに一個の仕事を済ませなくちゃなんない、そしてそうした仕事もより大きな全体の部分でありまたその全体もより大きな全体の部分でありまた、と以後延々と続くようないまどきにはぴったりの、バック・グラウンド・ミュージックなのかもしれませんね。