空飛ぶソイ・ソーセージの全て

日々の記録をぐずぐずにしたうえで一本、腸詰に仕上げたソイ・ソーセージが空を飛ぶわけがない、中身なんてないから。

2017年6月20日(火)

 

 5字姫昌湿櫃礙奔出勤。
 資料読み後外回り。公園という空間のわけわからなさについて。誰彼にも分け隔てなく開かれている、池の周りのベンチには、旅行客がスナック菓子つまむ鳩に餌やる、ならまだわかるが一見して水商売の、耀げな茶髪の青年ひょろり、あまり健康そうじゃないのがトランクス1枚でベンチに座り、それも日光浴何て元気なんじゃなく、むしろ打ちひしがれている、憔悴しきっている様子でだからどう見てもおかしいのに誰も咎めたてられないパス。自由人もビジネスマンも学生さんもいまはいまだけは等しく憩おうそれが公園。
 記念碑多し。何かの墓か博士の顕彰かはたまた地元の偉人の紹介か空襲の記憶か虐殺の隠蔽か分からんけれども雨後の筍のように銅像が林立するに混じりてもとひかるたけなむひとつありたる。あやしがりてよりてみるに何かの死骸勘弁してくれよ。
 外部レクチャーを受けるふむふむ。スウィート・ハニー・アダムスとは「何もないくだらない」みたいなスラング、英国のウィットは黒すぎて笑えんわぁホント。
 コミュニケーションって一方から他方へ一直線に行き亦帰るって語感があるけれども、こちとらの場合は焚火の周りをぐるぐる回って大体がいつも同じルート通るのだけれどもちょっとづつ、ちょっとずつ中心へ近づいていってるその度に額には汗、照りって感じだからこれでは、まどろっこしくてやってられない。
 少しさぼりて帰宅。豆腐の厚揚げが好きいっそ。もう梅雨なのに晴ればれどんよりなどどうちなーの写真家。ぱんぱんの娘だっていわれんために第一ボタンまで締めるのが好きさ、この言葉の語気の、これこそほんとうってもんなんだろう。その断片だけが。ひっくり返りだけが。
 百数えて志茂忘れて崩落。